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2009年01月29日

鷲田 清一 大阪大学総長、哲学者 経歴はこちら>>

もっと厚く、もっと苦々しい文章を(1/3)

 報道の意味がすっかり変わってしまった。事件や出来事は、現代ではテレビやインターネットのニュース配信が刻々それを知らせてくれる。

 新聞はその点、速報性において劣る。新聞というメディアにひとびとが求めるのはだから速報性ではなく、それらの事件や出来事への向きあい方、いいかえるとそれらに対してどのようなスタンスをとったらよいのかという解釈や批評であろう。

 そんなことは読者のみならず記者自身がとうのむかしに気づいている。だから事件の奥行きを感じさせようと、どの新聞もずいぶん前から、対立する立場の論者を紙面で闘わせる「対論」やら「耕論」に大きくスペースをとってきた。だからまた皮肉なことに、いずれの新聞も似たような論調になるのを避けられなくなった。

 わたしは、新聞の個性というものは、これからはますます、そこに登場する「識者」ではなく、個々の「記者」の力量にかかってくるようになるとおもう。

○BSE問題めぐるスリリングな議論の応酬

 科学技術コミュニケーションを専門にしている同僚が、BSE問題で世間が騒がしいときに、専門をまったく異にする大学院生を集めて、「米国産の牛肉を輸入再開するためにはどのような条件をつければよいか」というテーマでディスカッションをした。

 かれの話では、まず医学系の院生が、BSEについての疫学的な解釈をとくとくと披露した。それに対して経済学を専攻している院生が、問題はそんな単純なことではなく、米国との貿易摩擦をはじめとする外交の視点を挿入しないと解決できないと批判した。

 するとこんどは、文化人類学の院生が、まるでそれまでの議論を冷笑するようにしてこう言い放ったという。きみたちの議論はあまりにもスケールが小さすぎる、この問題は動物の飼育をはじめた牧畜文明の人類史的意味を考えるところから論じないと近視眼的で上滑りな議論になる、と。

  →次ページに続く

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