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2008年12月17日

鷲田 清一 大阪大学総長、哲学者 経歴はこちら>>

「学力問題」って、なんだ?(1/2)

 この国の頂点にいるはずの人がくりかえしやってしまった漢字の読みまちがい、その記事が連日出るなかで、わたしは正直なところほっとしていた。これで論議は政治家たちのそれに移り、小中学生の「学力問題」についての論議はしばらくおさまるだろう、と。

 それにおまけと言ったらなんであるが、これによって小中学生の漢字能力も少しばかりはアップしたとおもう。「踏襲」を「ふしゅう」と、「頻繁」を「はんざつ」と、こんなふうに読むひともいるのよと、多くの家庭で話題になったはずだから。

 が、予想はみごとに外れ、生徒の「学力問題」を扱う記事はいっこうにおさまる気配がない。全国学力調査の結果公表をめぐるやんやの騒ぎのあと、こんどは文部科学省が国際数学・理科教育動向調査の結果を発表し、学力低下に歯止めがかかったと自己評価したものだから、ここでまた異論が噴出した(朝日新聞、12月10日朝刊)。

 くわえて「『ふしゅう』はなぜ間違いか」の分析まで(読売新聞、12月13日朝刊)。そうした記事を読みながら「ふしゅう」「ふしゅう」と口にしているうち、冗談ではなく「ふしゅう」と読みかけた。くわばら、くわばら。

〇まこと生徒に無礼な学力テスト

 「学力問題」へのコメントがいろいろ載っている。が、そこに生徒たちの感想は登場しない。子ども自身の感想をできれば訊いてみたいのだが、見あたらず、そこでわたしが試験を受けさせられた生徒なら、という前提で考えてみることにした。

 まこと無礼だなあ、というのが最初の感想である。

 「学力問題」というと、まるで能力の欠損といった深刻な事態が子どものなかに生まれているかのように聞こえる。けれどもこれは何をどのように教えるべきかという教科内容と教育方法の問題として、教える側がデータをもとにいろいろ熟考するための調査だったはずである。

 生徒たちはそのだしに使われた。そして誤答をした生徒は、追って総理大臣たる者が「学力」不足だと、ふつうなら再起不能と思われる仕方でからかわれているのをまのあたりにし、自分もあんなふうにいたぶられるために試験を受けたのかと、ほぞをかむはずである。

〇孤絶した知識は身につかない

 そのデータそのものも怪しい。たとえば、葉緑素以外に光合成に必要な要素を二つ問う設問がある。この問いに答えることになんの意味があるかは問うまい。学ぶ意味など学んだ後にしかわからないからだ。

 それよりも、この孤立した問いの無意味さに、ああまたか、と疲れるだけだろうとおもう。設問として孤立していること、いいかえれば、何のために考えるのか、答えが分かったら次にどうするのかという、生活に連なる脈絡がこれらの設問にはない。

 そのような孤絶した知識は生活の場面で使用されることがなく、だから身につくことがない。知ったところで意味のない設問につきあわされるのもしんどいことだろうとおもう。

 →次ページに続く(的はずれな学力テスト)

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