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2008年11月25日

鷲田 清一 大阪大学総長、哲学者 経歴はこちら>>

勤労感謝の日に

 いろんな語呂合わせの記念日が増えている。11月は「いい」と読めることからとくに多いようで、先週末でいえば11月22日は「いい夫婦」の日。11月23日は勤労感謝の日だが、この日、最近は「いいふみ(文)」の日ともいうらしい。そろそろ年賀状の準備を、という意味も込められているそうだ(日経コラム「春秋」2008.11.23)。

 11月23日は、もとは新嘗祭の日。「瑞穂の国」の大王がその年の穀物の恵みに感謝する祭としてあったが、戦後は「勤労感謝の日」という名で、こんどは国民の祝日として制定された。「勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」という趣旨である。

 けれども足元をみれば、先の「金融危機」のあおりをくらい、少なからぬ中小企業は銀行の貸し渋りで廃業か倒産ぎりぎりのところまで追いつめられ、大企業などでも「人員削除」という名目で突然、非正規社員の契約打ち切りや新入社員の内定取り消しがなされ、勤労をめぐる状況はいよいよ厳しさを窮めている。感謝しようにも「恵み」とは逆に「圧迫」をしか感じられないというのが実情だ。

 いまどきの労働をめぐる状況といえば、「恵み」への感謝の思いとはほど遠いものになっている。営業成績本位の労働のなかで、それを通じてなにか大切な価値を生みだしているという手応えはない。自分の仕事がたしかにだれかの役に立っている実感も乏しい。「あなたは要らない」という人員の切り棄てが平然となされる。

 これでは、それぞれがそれぞれの場所で労働を通じて互いに生活を懸命に支えあっているという感覚をもつのはむずかしい。生活を支える社会システムが巨大になって、自分が具体的なだれかの労働に支えられているという事実が見えなくなっているからだ。それだけでない。システムを支える個々のひとではなくシステムそのものの存続のために、ひとは求められたり棄てられたりする。

 だからだろう、ひとは目に見える支えあいを求めた。阪神淡路大震災の起こった1995年ころから「ボランティア」への波が起こった。市役所に勤めている知人から聞いた話では、震災援助の現場に駆けつけたボランティアからは、職業を活かした任務ではなく、勤労の場では忌避されがちないわゆる3K(きつい、厳しい、危険)の仕事が求められたという。対策本部ではなく被災の現場に行かせてください、と。

 労働の場(職場)よりも非労働の場でのほうが「仕事」をしているという実感が得られるという、なんとも皮肉な現象である。その後は「フリーター」とか「ニート」とかいった、雇用からの除外であるとともに終身雇用の拒否でもあるような労働へのこれまでとは違うかかわりが目立つようになった。いまは「派遣」という体のいい名で景気の変動にともなう労働力(人件費)の調整が堂々となされている。こうして労働は感謝の対象であることからどんどん遠ざかっていった。

 「恵み」や「感謝」という言葉がリアリティをもつのは、自分たちのいのちが自分以外のものに握られているという感覚があるときである。たえず飢餓の不安にさらされ、農耕の成果は気候に左右されるという厳しい状況のもとで、ひとはひとを超えた力に祈り、その恵みに感謝する。技術が際限もなく進化し、自然を支配と統御の対象とみなして、どのような限界も技術の進化で克服できるという感覚がふつうになったところでは、さらには貨幣経済の浸透によって金さえあれば何でも手に入るという感覚が自明のものになったところでは、つまりはひとがひとりの足では立てない「弱い」存在であることを忘れたところでは、「感謝」のこころは消え失せてゆく。

 ちょうど「生まれる」という受動系の動詞が、現在ではなんのためらいもなくまるで自動詞のように口にされるのとおなじように。いまでは「生まれる」という言葉に「生んでもらった」という含みはほとんどない。

 柳田國男がはるか昔に予言したように、近代社会では貧困という共通の運命に共同であたった「共同防貧」のしくみが消えて、平均ではより豊かにはなれども個々の貧しいひとは「説くにも忍びざる孤立感」のなかでそれにさらされる「孤立貧」の時代がやってくる。

 「われわれは公民として病みかつ貧しいのであった」と柳田はその著『明治大正史世相篇』を結んでいるが、かれがそれによって訴えたのは、いかなる困窮にあってもひとを孤立させてはならないという一事にほかならなかった。

 人間は人間を超えたものに生きさせてもらっているという宗教的な心情にまでたどり着くことはなくても、自分の存在は他のひとの存在によって支えられているという感覚だけはなくしてはならないとおもう。しかもその支えはたえず反転する。支える者がいずれ支えられる側に回ることほど、ひとの一生を見るにつけ、あきらかなことはないとおもわれる。「恵み」への感謝の念はそのことを知ったときにはじめて生まれる。

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