2008年08月14日
| 歌田 明弘 | コラムニスト | 経歴はこちら>> |
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メディア批評といった場合、記事とか放送内容を問題にするのが普通だろう。しかし現在、メディアのことを考えるときには、それだけでは不十分だと思う。
○メディア渡り歩いて記事読む傾向
新聞記事が印刷され宅配されて読むのが当たり前だったり、テレビ番組は降ってくる電波を受信して見るものだったりといったことが何の疑問もなく続いていたときには、それでもよかった。一般の人がメディアの背景をあれこれ考えても仕方がなかったかもしれない。
ところが、いまはそうではない。こうやって新聞記事をネットで読むなど、メディアの情報をネットで入手することも多くなってきた。このような変化が起きているときには、「コンテンツ(情報内容)」だけでなく、コンテンツを運ぶ技術や経済的な問題が、同じぐらい重要なものになっていると思う。
技術がコンテンツとの接し方に影響をあたえているというのは、もはや言うまでもないことだ。新聞紙面では、どの新聞社の記事かを認識しないで読むことはありえない。しかしネットでは、あちこちのメディアの記事を渡り歩いて読むことは少しも珍しいことでないばかりか、むしろそちらのほうが一般的だろう。ヤフーなどのポータルサイトなどでは違うメディアの記事が同一画面に並んでいるから、とくに意識しなければ、「ポータルサイトの記事」といった認識しかないことも多い。
○短めの記事、芸能記事が歓迎される
ネットという技術は、コンテンツそのものも変えた。
日経新聞は、ネットに出す記事を新聞紙面の記事の3割にとどめているようだし、そのほかのメディアでも、電子版では紙面よりも短い記事になっていることがある。有料の紙面と無料のネットとの差別化をはかるといった経済的な理由だけでなく、コンピューター画面では長い記事を読みにくく、携帯電話ではいよいよ長い文章は向いていないといった技術的条件もこうした選択を正当化している。このように経済や技術はコンテンツのありように影響をおよぼしている。
またアメリカでは、新聞社に厳しいリストラの嵐が吹き荒れている。日本でも、テレビ局がスポット広告の不振で役員の報酬返上を相次いで発表するなど、メディアの地殻変動が感じられる。こうした経済的な側面がコンテンツに影響しないということは考えにくい。
その一例を挙げれば、もっぱら広告に支えられているネットの記事は、たくさんのアクセスが不可欠で、アクセスを増やすためには芸能記事が優遇される傾向がある。芸能記事はアクセスを集めやすいからだ。こうしたことも、経済論理がコンテンツに影響をおよぼしている事例である。
○ジャーナリズム論だけでは片手落ち
大学でマスコミ論と名のつく課目を担当しているが、例年その授業の初めに話すのはこうしたことだ。
少し前までは、メディアのことを考えるというのは「情報内容」を考えることとイコールだったが、今はそれではダメで、「情報内容を支えているもの」についても考えなければ、メディアを考えたことにはならない。
当たり前のことのようだが、メディアの一線で長く仕事をしている人ほど、どうもこうしたことはあまり意識していないようである。目の前の仕事に忙しく、自分たちがきちんとジャーナリズムの倫理を守って行動すれば、いい記事ができ、かつ読まれると信じている。
技術や経済が安定的な構造であるときにはこれは真実だと思うが、現在は、おそらく一面の真実でしかない。変化し生まれつつある構造がコンテンツのありようを決定づけるといったことがドラスティックに起こり始めている。
今回から担当することになったこの「新聞案内人」の欄では、こうしたメディア環境の変化を意識しながら、ネットとメディアのかかわりとその変化が引き起こす問題なども取り上げていきたい。