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2010年07月22日

島 脩 元読売新聞編集局長 経歴はこちら>>

めぐる「因果」に政党はどう対応する(1/2)

 近年、参院選で与党の議席が過半数を割り込んだのは、1998年、2007年、10年の3回である。

 記憶に新しいのは、日銀総裁人事で野党が拒否権を行使するなど対立、抗争に明け暮れた07年政局だが、参考にしたいのは98年参院選後の「金融国会」と議員、閣僚数の削減だ。

 参院選敗北の責任をとって橋本首相が退陣したこの時期、わが国は、バブル崩壊に続く金融危機下で、日本発世界同時不況を憂慮する米政府は、早急な対策を求めていた。何よりも必要とされたのは「スピード」であった。

○野党へ「丸投げ」

 野党第1党の菅民主党代表が「金融危機を政局の材料にはしない」と言明したのを受けて、小渕首相は金融再生関連法の政府提案を引っ込めて、民主党案を土台に自民党との修正協議で成立を図るという異例の手法に出た。政権党のメンツをつぶされた自民党内からは、野党への「丸投げ」に反対論が噴出したが、「著作権を欲しがるほどのものでない」と押し切った。

 金融という特殊な分野に精通する当選3回の両党若手議員が中心で,従来の審議方式にとらわれない活動ぶりは、「政策新人類」と称された。このメンバーには、自民党側は後の政調会長石原伸晃、官房長官塩崎泰久、みんなの党代表渡辺喜美氏、民主党は枝野幸男幹事長、古川元久官房副長官らが名を連ねている。

 小渕政権の次の手は、小沢自由党との連立による正面突破の「ねじれ解消」であった。2度にわたる党首会談で議員定数、閣僚数の削減で合意し、自自連立発足後、直ちに衆院比例代表の定数を20削減し、次いで閣僚の数は、20人を2人減らして18人となった。昭和22年に内閣法を施行して以来、半世紀ぶりの初めての改正であった。現在は17人だ。削減は、自由党の選挙公約だったが、政権に入らなければ実現はできなかった。

  →次ページに続く(与野党の立場入れ替わり…)

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