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2010年03月11日

島 脩 元読売新聞編集局長 経歴はこちら>>

「責任は俺が取る」と言うのなら(1/3)

 佐藤内閣が掲げ、以後わが国の「国是」となった非核3原則は、「持たず、作らず」は憲法上の問題、「持ち込まず」は国民感情に訴えた政策上の問題とされている。

 世界を脅かす大量破壊兵器の製造、保有は戦争放棄を定めた憲法違反とする一方で、自衛の正当な目的と限度にとどまるものならば核兵器も通常兵器も理論上は同じこと、と将来の防御的小型核兵器の出現を予測して含みを持たせている。

 「持ち込まず」は、唯一の被爆国日本の決意を示す特有の政策だが、この問題で「密約」を検証していた外務省の有識者委員会は、「暗黙の合意」による「広義の密約」が日米間に存在したと認定した(9日)。

 同時に、密約問題の根源にあるのは、東西冷戦下で日本を含むアジア諸国に対する防衛義務を負うアメリカにとって日本の基地が重要であったという現実、そしてその前提として、日本の強い反核感情を米側が無視することが困難であるという事情が存在したことを理解すべきだ、と一定の配慮も示している。

 「あらたにす」3紙の社説は、長年放置されたこの懸案に一つの区切りをつけたことは政権交代の効用であり、報告書の内容もおおむね妥当、とする見解を示した。

○最後に残された有事「核再持ち込み」問題

 1965年8月、佐藤首相は、戦後の首相として初めて沖縄を訪れた。当時、沖縄問題を所管していた官庁は総理府で、米軍の施政下にある同胞に対する日本側の援助予算をいかに増やして、関与度を高めるかがその役割であった。

 返還に向けての地ならし作業であったが、現地米軍の壁は厚く、長い間沖縄住民が求め続けた「日の丸」掲揚が祝祭日に限り認められるようになったのも、つい数年前のことだった。この間、東西冷戦が激化し、米ソの核戦争が一触即発の事態にまでいたったキューバ危機が起こり、アジアにおいては、沖縄基地は太平洋のキー・スト-ン(礎石)と呼ばれ、重視されていた。

  →次ページに続く(沖縄返還交渉の陰で…)

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