2008年12月30日
| 水木 楊 | 作家、元日本経済新聞論説主幹 | 経歴はこちら>> |
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昭和20年代から40年代にかけて活躍した政治家に、河野一郎という人がいました。強引な政治手法から人々の評価は毀誉褒貶相半ばしておりましたが、果断の政治家であることは敵味方一致していました。
彼が必ず守っていたことがひとつあります。毎月1回は必ず百貨店に足を運び、世の中の空気を察知しようとしたことでした。官僚出身の政治家が台頭したあの時代、党人派の彼は、それほどまでにならなくてもと思うほど民意に敏感でした。
○大不況で見えた政治家・官僚の鈍感さ
「回顧・展望」が今回与えられたテーマですが、いまさら「回顧」するのも白々しいほどの決定的な出来事が秋に巻き起こり、日本の空全体を覆っています。
私が親しくしている、ある非鉄金属企業のトップが言うに、11月の注文は昨年同期比でなんと8割減だそうです。深刻さを通り過ぎ、呆れ果てたという表情です。
また、神奈川県の中小工場地帯で部品製造をしている中小企業の社長も、「周りがばたばた廃業していく。ウチは借金がないので何とか持っているが、これもあと数ヶ月のこと。その先も駄目なら、四国か九州のどこか廃村にでも一家移り住み、野菜でも作って暮らしていこうかと思う」と大真面目で語っていました。
「100年に1度」の経済危機だそうですが、今年目立ったのは永田町や霞が関に棲息する人たちの、「KY」どころではない、恐るべき鈍感さでしょう。定額給付金などという、貧富を問わぬバラまきを思いつく前に、大量の失業発生を予測して、路頭に迷う人たちの住居や一時的な所得保障にどうして手を打たなかったのでしょうか。
→次ページに続く(新しい産業の芽に期待)