2008年10月03日
| 安井 至 | (独)製品評価技術基盤機構理事長、東大名誉教授 | 経歴はこちら>> |
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日本では麻生内閣が発足したが、丁度その間、遅い夏休みをとって、米国のコロラド州を中心に国立公園巡りをしていた。
米国西部はやはり非常に広大なもので、レンタカーを借りないと効率よく国立公園を回ることはできない。運転をしてみると、日本社会との違いがすぐにわかる。最近の米国では、速度の制限がかなり高く設定されている。制限速度内であっても、タイヤのねじれやボディーの傾斜を感じるほどである。第一次石油ショック直後に、すべての高速道路の制限速度は、55マイル/h(88km/h)になったが、最近の中西部では、75マイルのところが多くなっている。
国立公園や国有林を通る道路では、景観を重視しているためだろうか、道路にガードレールを設置していないのが普通である。もしも路肩を越えれば、かなりの深さの谷に向かって一直線という感じである。一方、景観を重要視しないような州道クラスになると、ガードレールが設置しているところも多い。
今回訪問した国立公園には、高所から下を見ることができる場所が多く存在していた。観光客は、ちょっとした不注意で足をすべらそうものなら、こちらも谷底まで一直線といったようなところばかりであった。手すりを設置した場所は用意してあるので、そこからだけ、谷底を見るのであれば、安全に見物はできるが、そこをちょっと外れると、もっとスリルのある見物もできてしまう。個人的に高所恐怖症ではないのだが、かなり足がすくむようなところを体験した。
以上のような状況を考えると、米国という国では、自己責任が基本原則となっていて、多く設備や制度が決められていることを実感できた。
日本に同じ状況があることを想定してみると、もしもガードレールがない道路で誰かが事故を起こしたら、なぜこんな危険なところにガードレールを設置しないのか、行政の管理責任を問う、といった報道がなされるに違いない。
○日本人のメンタリティーと「小さな政府」
小泉政権が小さな政府を唱えて以来、日本も小さな政府が良いと信じている人々が増えたように思える。しかし、米国のような状況を考えると、小さな政府は、日本人のメンタリティーにはもともと向かないのではないか、と思わせる事例に遭遇することが多い。
総選挙が近々行われるとなれば、どのような方向性をもった日本という国を目指すのか、そんな根本的な議論が行われることが望ましい。日本人が基本的なメンタリティーを変えて、自己責任の世界に向かうこと覚悟をしつつ小さな政府を望むのであれば、それはそれなりの選択である。
しかし、あまり物事を深く考えず、「行政は無駄ばかりする」という批判だけに賛同して小さな政府を目指すのであれば、それは日本人のメンタリティーには適合しない社会を作る結果になりそうである。
→次の新聞案内人は野村彰男さんです。6日の掲載です。