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2008年03月02日

安井 至 (独)製品評価技術基盤機構理事長、東大名誉教授 経歴はこちら>>

古紙偽装問題──「環境シンボル」発想をやめよう

 昨年は食品偽装の事件が多発したが、今年に入って、リサイクル偽装に発展してしまった。古紙偽装に端を発した一連のリサイクル偽装に関する新聞報道は、まず的確なものだったと思われる。この事件に関して、何局かのテレビのインタビューを受けたが、製作スタッフは、意外なぐらい製紙会社に同情的だった。その理由の一つは、製紙会社の主張である「品質の良いものを提供した」に対して同意していたようだが、もう一つは、「分かりやすさ」を追求するメディアの限界が、そう言わせているのではないか、と感じた。

 さて、古紙偽装などの問題を環境史的視点で解釈するとどうなるのか。これが今回の本題である。
 偽装をした製紙業界の責任は決して逃れられるものではないのだが、この事件のもう一つの本質は、「古紙配合率100%の紙(=R100)が環境にもっとも良い」、ということを無条件に信じたことにあるのではないだろうか。

 紙の繊維には寿命があって、上質紙用なら2~3回は使える。その後、品質の悪い紙やパッキング材用に使うことで、最大でも5回程度使用すれば紙繊維の能力をフルに活かしたことになる。そのため上質紙であれば、すべての紙をR60ぐらいにすれば充分なのである。ところが、グラビアページなどのために、古紙配合率がゼロのバージンパルプをつかった紙が大量に作られている。そのため、古紙をできるだけ大量に含有するR100が必要だという理屈であった。同時に、R100はリサイクルを推進する「環境シンボル」として役割を果たすことになった。

 しかし、R100を製造することは、紙の繊維の利用効率が悪い方法だった。なぜなら、良質な紙を作ろうとすると、良い繊維だけを取り出して使う必要があり、繊維の精製度を高めて、歩留まりを低くすることになる。すなわち、R100を安価に大量に供給することは有り得ないことだったのである。

 ところが「環境シンボル」を良しとする風潮が高まって、もともと国を対象として作られたグリーン購入法であり、地方自治体に対しても努力目標でしかないのであるが、環境イメージの向上を目指す企業も、こぞってR100の購入に走った。

 しかし、このような状況が起きたことも、ある意味で仕方がないことである。環境問題では、評価すべき軸が常に複数あり、そのため単純な○×や、0か100かといった選択肢は正解ではない。例えば、プラスチックのリサイクルに関しても、「すべてをリサイクルすべきだ」も「すべてを燃やせばよい」もいずれも間違いである。ところが、そのような情報は充分に伝達されているとは言えない。

 しかも、このところ、もう一つ困った風潮がある。「ものごとは分かりやすい方が良い」、と思われていることである。ところが、「現実はどんどん複雑にかつ分かりにくくなっている」のである。プラスチックの場合でも、正解は材質や汚れ具合によって適切な処理をすることにあるのだが、これは「分かりにくい」とされてしまう。

 すなわち、このような状況で、一方では「環境シンボル」が作られ、他方で「反環境主張」が行われてきたのである。今後の対応策は、「正解は0でも100でもない。30かもしれないし、70かもしれない。それは場合によって違う」ことを再確認する以外にはない。

 市民としては、「環境シンボル」を無条件に信じるのを止めることであり、企業は、このような「環境シンボル」を使ったイメージ戦略は時代遅れになったと考えるべきである。製品の広告にも、もっと定量的なデータを出すことで、環境に対して配慮していることを主張すべきである。例えば、自動車の場合ならば燃費を、電化製品ならば消費電力を、その広告の中でもっとも大きな活字で示す、といったことを強制しても良い時代になったと思う。

 さて、結論である。環境史的に見ると、リサイクル偽装事件は、環境対応を○×で理解する時代だから起きた事件であったと言えるだろう。環境対応を「定量的に理解する時代」へ進化するための一つのステップにすべきだ、と言える。

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