2008年02月11日
| 安井 至 | (独)製品評価技術基盤機構理事長、東大名誉教授 | 経歴はこちら>> |
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中国産農薬(メタミドホス)入りギョーザによる中毒事件だが、正直いってこんなことが起きるとは思っていなかった。その新聞報道には、多少なりとも、農薬の毒性に関する情報が含まれていたが、一般的な読者にとって、理解できるようなものとも思えなかった。
インタビュー形式を含めて、こんな例があった。
その1:「動物実験の結果から考えて、人でも体重1キロ当たり257ミリグラムのメタミドホスを摂取すると急性中毒の症状がでる」。
その2:「国際的な安全性評価では、メタミドホスを一度に摂取した場合に健康に大きな影響を与えないとされる上限は、体重1キロ当たり0.01ミリグラム。体重60キロの人間だと0.6ミリグラムとなる」。
この2つの数値は、実に、2万5700倍も違っている。もっとも、症状に関する記述も違っていて、はじめの文章では、「急性中毒の症状がでる」となっているが、次のものでは、「健康に大きな影響を与えないとされる上限」となっている。しかし、常識的にみてそのために2万5700倍もの差があるとは考えにくい。257ミリグラムという数値自体、この専門分野では不思議な数値に思える。一般に、3桁も精度があるとは思えないからである。
毒性データベース(HSDB:英語)を探してみると、ある単行書の記述に、「256mg/日を5日間投与しても、特段の症状はでなかった」、というものがあることが分かる。これを超えると、なんらかの被害が出ると読んで、257という数値にしたのではないか、と推測される。ただし、さらに検討を進め、他の文献の数値を比べてみると、この実験結果はかなり特異なものであることも分かる。
それなら、2番目の記述は正しいのか。現在、農薬の安全性はADI(許容摂取量)というもので記述されることが普通である。毎日毎日ある一定量を一生摂り続けても、悪影響は出ないという量である。動物実験を含めて、様々なデータから無影響濃度と呼ばれる濃度を求め、それに100倍程度の安全係数を掛けて決められる。メタミドホスの場合、0.004mg/kg/日という数値である。2番目の記述に見られる数値は、どうやら1990年まで使われていた数値のようである。
かなり細かいことを記述してしまったが、その詳細はどうでも良いことである。問題は、このような記事がどうやって作られるか、その実態が一般の方々には知られていないことだろうか。今回の中毒事件のような場合には、社会部の記者が担当となる。社会部の記者には、理系の出身者はほぼ皆無だから、誰か専門家を探してヒアリングを行い、それを記事にする。もしも、その専門家が間違ったことを言えば、チェック機構も働かず、そのまま記事になってしまうことが多いのだろうと推測される。今回示した2つの記事は、そのような例だったのでは無いだろうか。
しかし、多くの新聞社には、科学部と呼ばれる組織がある。しかしながら、社会部の記者は、今回のような突発的事件の場合だと、締め切り時間との戦いを優先して、自ら書いた記事の妥当性を科学部に問い合わせている暇はないことが多いだろう。しかし、ここに改善の余地があるのではないか。
現在、多くのデータは、インターネットを適切にアクセスすることが可能ならば、十分に入手可能である。科学部は、他の部署の記者のために、「このアドレスをこうやって調べれば、妥当な数値が分かる、そして、そのデータはこう読む」、というデータソースブックのようなものを用意すべきなのではないだろうか。
今回の農薬事件に関しては、もう一つの農薬、ジクロルボスというものも登場した。丁度良い機会であるから、科学欄で、市民は農薬の毒性情報をどうやって読むか、という特集を組んでいただくのが良いと思われる。