「心の強さ」を求めないで

 8月もいよいよ終わり。大学生である筆者の夏休みはまだまだ続きますが、高校生の弟は毎朝、登校する日々が始まっています。
 学校はなく、旅行などのイベントは盛りだくさん。楽しくてしかたがなかった夏休みです。誰しも、長い休みの終わりには寂しさを感じ、じきに授業が始まることを考えて気が重くなることでしょう。しかしながら、もっと深刻な理由で新学期が辛い子どもたちがたくさんいるようです。
 
 30日の朝日新聞朝刊は、夏休み明けに自殺を図る子どもの数が多いと伝えています。どうして子どもたちは、この時期に命を絶とうとするのでしょう。夏休みに入り、いじめなどで苦痛だった学校生活から解放される。9月になって再開されるとき、一度そこから離れられたことで戻ったときの学校の恐ろしさが増幅され、生に絶望してしまう―これはあくまで筆者の推測にすぎないのですが、そんな背景があるように思えてなりません。
  
 自殺を減らすためには、どういった手立てをとればよいのでしょう。文部科学省は、駅や踏切などでの見守り活動や自殺をほのめかすネット上の書き込みの丁寧なチェック、自殺予防教育の強化といった対策を全国の教育委員会に求めています。
 しかしながら、この自殺予防教育というものが、筆者にはひっかかってしまいます。かえって、精神的に脆い生徒を追い詰めやしないかと危惧しています。 
 同紙では、北九州市上津役中学校で行われた道徳の授業が紹介されていました。「四本の木」という紙芝居を用い、生徒たちに多様な意見を出してもらう、というものです。

激しい風の中、どうすれば折れないかをそれぞれの木が考える話だ。ある一本は、根を土深く伸ばして太い幹を作る。生徒に配ったプリントには、「太い幹になるって、人ならどうすること?」との質問があった。女子生徒の一人は、「つらいことがあっても、どんと構えて前に進もうとする」と書いた。他の生徒が発表した意見も、いいと思えば別の色で書き込んでいく。「いじめをはね返す強さ」「前向き」……。

  ここでも登場していますが、精神的に追い詰められている人や自殺を考えている人に対して、「強い」「前向き」という言葉が非常によく使われます。「心が強ければ、前向きに考えることができれば、自殺などせずにすむ」。確かにそうかもしれません。しかし、何か辛いことがあって、心が折れそうな人が、「心を強く」「前向きに」などと、考えることができるのでしょうか。前向きにならねば、強くならねばと考えれば考えるほど、「心が弱いからだめなんだ」「前向きに考えられない自分はもうだめだ」、そう感じ、自分をさらに追い詰めてしまう恐れはないでしょうか。
 
 筆者自身、精神的に脆いところがあります。「強くなりなさい」とよく言われますが、そのたびに言いようもない無力感に襲われます。強くなろうとして頑張っているけど、そうなれないから苦しいのです。「心の強さ」などは得ようとして得られるものではない。人に強さを求めることには一種の暴力性さえ伴っているように感じます。「心が弱く」ても、「逃げ」ても、生きていてもいいんだと思えるような、そうした自殺予防教育こそ必要とされているはずです。

 
参考:30日付 朝日新聞朝刊  1面 「中高生 自殺させない」